今は同じ事を指す言葉でも、もともとの語源は全く異なるという事があります。それには、民族や人種の考え方が色濃く反映されます。
今日は、言葉(コトバ)について西欧と日本の違いを紹介します。
言葉(コトバ)の語源
大野先生の『日本語をさかのぼる』によると、古代日本では、コトバにあたる意味とコト(事)にあたる意味とを一語で兼ねていたそうです。つまり、私たちのご先祖様は、人間の口にするコトと人間のするコトとは同一であると見る素朴な観念を抱いていたことの証拠です。
なんでそんな考え方をしたのか個人的には非常に疑問です。当然、その二つは必ずしも一致するわけではないので、使い分ける必要が出てきます。そこでコトは出来事とか事実とかと言った意味を表すようになっていき、他方、コト(言)の一面を明確に強調するコトバという語が作られました。
コトバのバとは、端はであり、端ハシの意味です。ハシとは中心から外れた、価値の低い、つまらない所という意味です。「口先の発言」というのがコトバの古い使い方だそうです。
西欧のコトバの語源
聖書のヨハネ伝は、「はじめにコトバがあった」の一句から始まります。ロゴス(logos)という語は、取り集めるというのが語源です。それが、集めたものを数える、選び出すという意味に発展し、筋道を立てるという意味になり、そこから話すという意味を表し、それが名詞として、話の筋道・論理、更には理性を言うようになり、言語という意味を表現するに至ったらしいです。
口先対論理
日本語ではコトバという語には、口先のもの、あるいは単なる物の言い方という影がいつも伴っており、西欧のような真実とか理性などに結び付けて理解される語ではありません。
日本ではしっかりした学問と言えば漢字の記誦であった。日本では、人に教えられた文字を理解し記憶する事をもっぱら学問とせざるを得なかった。それゆえ学問をマナビ、マネビという。マネである。模倣である。
日本人の発想と日本語の表現
これは、自ら外に飛び出していき知識を拾い集めた人種と、受け身で流れてくるのを待った人種の差でしょうか。この辺の話は、『日本人の発想、日本語の表現』(森田良行著)が詳しく説明しており物凄く興味深くて面白いので、次回から紹介していきたいと思います。
日本語の表現に興味があるなら、これもおススメ!
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