「今」を基準に「過去」「未来」が決まるのに、日本語の表現はその法則に従っていないと思うような事が多々あります
日本語は非論理的?
よく「日本語は論理的ではないので」と言う人がいます。どうしてでしょうか?
それを使う人々の考え方が、言語に反映されます。という事は、日本人の思考は論理的ではないのでしょうか?これもまた「日本人は情緒的」と言う紋切り型ともいえるフレーズがあります。
考えていると次々に疑問が生じてきます。今回は、日本語の、そういう発言の素となる部分を見ていきます。
日本語の「た」は、単純に過去を表してはいない
私たち日本人でも、「普段は疑問に思わないが、言われてみれば確かに疑問に思う」、という表現があります。
昔、「現在・過去・未来」という歌いだしで有名になったのは渡辺真知子のヒット曲「迷い道 」です。しかし、日本語には、英語のように未来を表す明確なwillはありません。しかも、過去も独特の考え方のようです。森田良行の「日本人の発想、日本語の表現」では、こんなことを疑問に挙げています。
日本語で「明日の朝、一番早く起きた子にご褒美をあげよう」と言ったとして、この「起きた」の「た」は何だろうという問題がある。「た」を過去とか完了とか言っているが、ここはそうではない。明日のことなので、まだ実現していない事柄だから、過去とはいえない
どうでしょうか。普段何気なく使っていても、こう言われると不思議に思いませんか?
この文で述べている事柄は全体はすべて「明日」の話で、その点からいえば全体が未来のことに属する。日本人が考える「時」の概念は、実は時を認識する視点が全然異なっていて、現実の「今」に基準を置いているのではない。
つまり、この場合、英語だと時制の一致で全てwillを使うのに、日本語はバラバラです。この部分だけ切り出すと「非論理的」と言われても仕方が無い気がします。日本語は英語とは全然違う発想です。
森田さんの結論は、他の事例と同じく日本語は「発言者がどんな視点に立っているかを認識したうえで、場合場合に応じて表現を選択してゆく」という本の主旨へと繋がります。
日本語の「た」は、極端な言い方をすれば、話中の事柄の成立時点で決まるのではなく、それを認識する話者の判断として、間違いなく成立したか否かで決まるといってもいいのではなかろうか。時には、事の成立とは無関係な事柄でも「た」で表すことすら許されるのだから。手伝ってもらって「どうも有難うございます」とも「有難うございました」とも、どちらもいえる。
すべて、森田良行「日本人の発想、日本語の表現」から引用
読んでるだけで複雑で頭が痛くなりますね。日本語は、「書き言葉」と「話し言葉」が分かれていました。「話し言葉」は記録される事無くその場限りだったので、そういう独自の発展をしていったのかもしれません。
日本語は、発言者がまずその場と自分の立場を認識してから話す言語
今日は、日本語の時制についての疑問とその不思議な法則を紹介しました。
英語のように厳格な時の流れに沿っているわけではない、という事は誰もが否定しないと思います。では、「形式的に見て非論理的だから非論理的言語」なのかというと、何とも言えません。ただ、「異常なほど、発言者がまずその場と自分の立場を認識してから話す」と言うのは納得です。これが面倒な敬語の使い方にも繋がっています。
日本語の「言文一致」の試みは、まだまだ途上なのかもしれません。これからもどんどん変わっていく予感がします。
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