日本人の考え方の根本ともいえる、受身について見ていきます
日本語の受身は、様々な使われ方をする
以前、日本人が使う「なる」の考え方を紹介しました。
日本人が使う受身は特殊です。色々な使われ方をします。単純に、 「能動態」の論理的な対義語としての「受動態」ではありません。
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日本語の受身は、「外」対「内」の関係が基本
森田良行の『日本人の発想、日本語の表現』に、こんな例が出てきます。
学生「商品の陳列は、だいたいどのデパートでも同じようですが、何か基準でもあるんですか。」
(中略)
部長「そうです。エスカレーターで五階あたりまで行く間に、いろんな商品が目について購買欲をそそられるようにするのです。」
この普通に日本語として使われる文を読んで、ちょっとおかしいと思う所はありますか。たいていの人はそう訊かれても、「特に違和感は有りません」と答えると思います。
ヨーロッパから来た留学生はこの文を読んで、こういう質問を森田さんにしてきました。
「先生。ここはデパート側の部長さんの会話なのに、なぜ『購買欲をそそられる』と受身で言ったのですか。積極的に買わせるようにするのですから、『購買欲をそそらせる』と使役で言うのが正しいんじゃありませんか」と質問してきた。
これを読んで更に違和感がありませんか?「いろんな商品が目について購買欲をそそらせるようにするのです。」と変えても、デパートの意図的な戦略で客の購買欲を上げさせる、とはなかなか理解できません。
日本語では、実は「そそらせる」も「そそられる」も、共におのずと買いたい気持ちが自分の胸の内に沸いてくる自発に近い受身であって、たとえ「せる」と言い換えたとしても、やはり受け手の立場に立つ点では相違はない。
(中略)
己を対象化して客体界のこととして観察し分析する言語で育った者には、己の立場で登場人物の心をとらえ、周囲の状況を受け手として把握するこの「外」対「内」の関係がなかなか理解できないのである。
引用は全て森田良行の『日本人の発想、日本語の表現』から抜粋
自分も相手も「自己」を持っているという認識が「個」ならば、日本人には「個」の意識はなく、有るのは自己中だけ、となってしまいますね。
「自発的受身」は、「自粛を要請」と同じ構図
今日は、日本人の考え方の本質ともいえる受身について見てみました。
そもそも本に出てくる「自発的受身」というのが、よく考えるとおかしいです。コロナ対策で頻発される「自粛を要請」と同じ構図です。
もう少し「受身」についての考え方を紹介していく予定です。
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