英語を漢語に翻訳するという二重の悲劇が原因で、日本人は概念が理解できない
「理論は現場では通用しない」、と無視する日本
例えば、あるマネジメントの理論を説明すると、殆どの確率で、「よく分かりませんが、結局、具体的に何をすればいいんですか?」とか「御託はいいんで具体的に説明してください」と返ってきます。
「日本人は・・」と言えるほど海外の事情は知りません。ですが、海外の経営者の多くが経営理論を学んでいるのに対して、日本の経営者は経営理論の価値を低く見ていて、全然通用しない無用の長物、学者が研究するだけのものという評価でしょう。
それはそうでしょう、理論ですから。そのまま通用するはずがありません。概念を理解して自社に適用するためにテーラリングするということを全くやらないのはなぜでしょうか?
概念を理解せず、具体的な手続きや形式だけ知りたがる日本人
以前に、やまと言葉には抽象語が少ない、という特徴を紹介しました。日本人は自分たちの言語を発展させる代わりに、漢語に委ねました。
関連記事:やまと言葉は抽象語が少ない
漢字が輸入されて相当長い年月が経った今でも、漢語は心の底からは理解できません。意味は頭では理解できても、なんか高尚で難しそうだなぁ、と思うだけです。
最近、『日本語の宿命 なぜ日本人は社会科学を理解できないのか』というを読んで、民主主義といった西洋の概念の言葉を翻訳する時に、ほぼ漢語を用いた二重の悲劇を感じました。最近の外来語を、古い外来語に置き換える、これでは絶対に腹落ちしないでしょう。
結果、「日本では中身の理解を伴わず、具体的な”やり方”すなわち形式や手続きだけが一人歩きするようになった」という状況になります。冒頭で紹介した状況があらゆる場所で見られます。
これは社会科学の用語だけでは無いと思います。
なぜ、日本人は自分たちの言葉から抽象語まで発展させなかったのでしょうか。文字を発明できなかった自分たちと比較し漢字に圧倒的な文化の差を感じて、「難しい事は漢語で表現」と思ってしまったのかもしれません。それとも、役に立つかどうか分からない抽象的な事には根っから興味が持てない民族なのかもしれません。
外来語の語源を知るだけでいいのか?
今日は、『日本語の宿命 なぜ日本人は社会科学を理解できないのか』の感想から、日本人の「概念」に対する考え方を紹介しました。
本には、対処方法として外来語の語源を学ぶ事を勧めているように思いました。そうすれば、なぜ首都と資本が同じCaptalなのかが理解でき、その根底の考え方を知ることができるようになります。
でも、本当にこれだけで良いのでしょうか。モヤモヤする読書後でした。
今日紹介した本です
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ビズフォリオ流ライフデザイン・ガイドブック:7つのステップで、自分らしく生きる方法
三木章義 (著)
ライフデザインの手法を学び、7つのステップにそって自分の手を動かして自分の人生をデザインし、目標の人生を手に入れます。
脱・専業サラリーマン: 消えゆく日本型サラリーマンに今こそ決別!シリコンバレーの先端思想と昔ながらのナリワイの知恵を結ぶワークスタイル変革
三木章義 (著)
これから複業サラリーマンを目指そうとする方、興味がある方に向けて、起業の体験本を書きました。平凡なサラリーマンがふと起業したくなり、仲間を集って会社を作るまでの物語です。
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