「ブレードランナー」を久しぶりに観て思ったのは、レプリカントより悲しいサラリーマン
ブレードランナーの「悲しさ」が心に沁みる
Huluでブレードランナーが公開となり、先日早速見ました。最初にこの映画を見たのは、学生の時でした。「冒険活劇」っぽいSFを想像していたので、随分期待外れだったのを覚えています。
それでも何故かその後2回も見る機会があり、その度にこの映画に対する印象は変わってきました。
今回は4回目、この歳になって観てみると、「悲しさ」が心に沁みました。
すべての思い出は消える、雨の中の涙のように
レプリカントは見た目は人間そっくりで、能力は人間以上です。奴隷として作られ、人がやらない過酷な環境での危険な作業をやらされています。当然、そんな環境が嫌で逃げだすレプリカントは数知れず、そんな彼らを探し出し殺すブレードランナーと呼ばれる賞金稼ぎの人たちがいます。
レプリカントは人ではないため、殺人ではなく、なんと「(定年)退職」と呼びます。
与えられたイヤな仕事を我慢しながらこなす、逃げ出しても大抵は上手くいかない、これはもうサラリーマンの話ですか?
実は、レプリカントの寿命はわずか4年です。どうせ逃げ出しても4年で死ぬのに、なぜそんなに執拗に見つけて「定年」させるのでしょう? 見せしめでしょうか。
「会社を辞めてもろくな事は無いので、イヤでも我慢しろ。与えられた場所で自分の能力を発揮するのが幸せだ」
「自分の人生はこのまま終わるのか? もっと長く生きたい! 自由に生きたい!」というレプリカントの気持ちは、中年も半ばに差し掛かってくると痛いほど刺さります。
少なくとも、自由な身で死ねる満足感と安堵感
ビルに落ちかけた主人公を何故か助けて、レプリカントの寿命が尽きます。「お前たち人間には信じられない光景を見てきた。オリオン座の肩の近くで炎を上げる戦闘艦。暗黒のタンホイザーゲートのそばで瞬くCビーム。すべての思い出は消える、雨の中の涙のように。死ぬ時が来た」が最後のセリフです。
どんなに過酷な環境下でも、「美しい」と感じた光景が思い出として残ります。それらに支えられて、レプリカントは何とか耐えてきました。そんな光景をもっと見たいと思いながらも、果たせない望み。けれども、少なくとも「定年」ではなく、自由の身で自分の人生を終える事が出来た、そんなささやかな満足感と安堵感を思わせる、安らかな表情で死んでいきます。
レプリカントが見たと語った「美しいもの」。これは、フランクルが悲惨なアウシュビッツで見たものと同じです。
そしてわたしたちは、暗く燃え上がる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。
私たちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」より引用
これだけが、生き続ける意思を我々に与えてくれます。しかし、それらも全て、時と共に儚く消え去ってゆきます。悲しいですね。
レプリカントを哀れと思うサラリーマンの悲しさ!
これまでは、たった4年しか生きられず、奴隷として働かされるレプリカントが哀れだから悲しい、と思っていました。今回見直すと、そんなレプリカントを哀れと思う自分たちの方がよっぽど悲しい、という事に気づきました。
サラリーマンは、「安定」を求めて自らの意志で好きでもない仕事に就いて働き、4年からみれば永遠に近い命を与えられながら、何の人生の意味も見つけられずに死んでいく。それなのにレプリカントを見て「可哀そう」と思う、これこそ哀れでしょう!
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