旧新座郡に多い氷川神社を紹介します。その1回目です
日々の喧騒から解放され、なんとなく気持ちが厳かに
観光地でも有名でもなく、本当にその周りに住んでいる人しか知らないような地元の神社は、本当に静かです。
訪れると日々の喧騒から解放され、なんとなく気持ちが厳かになります。
黒目川沿い、朝霞三中の近く
溝沼氷川神社の場所は、朝霞三中のすぐ近くです。地図で見ると、朝霞には氷川神社が数多くあるようです。最初に決めた理由は特に無く、外出自粛による運動不足解消を兼ねて黒目川沿いを散歩したいと思ったのが理由と言えば理由です。
同じような考えの人が多かったようで黒目川は意外と人が多く、すれ違う人との距離を多少は気にしながら神社へと向かいました。三中の通りは割と車が多く通るのに、通りからたった一つだけ入った神社は、人も無く静かでした。
「氷川神社御由緒」を紹介
かつては当社を「じるいね様」と呼ぶ古老がしばしばあったように、明治四十一年八月八日までは当社は地類神社と称していた。『風土記稿』溝沼村の項には、その沿革について「地類権現社 除地五畝、村の東にあり、社は一間に一間半、南に向ふ、祭神詳ならず、寛丈の頃(一六六一 - 七三)村民畑を耕すとて、地類権現と彫づけし石を得たり、時の地頭中山勘三郎、此由を聞て柱を立てんと思けるに、此地を古より稲荷山と号せしかば、社地のあとならんとて、社地と定め、この権現を勧請せりと云伝ふ、村内泉蔵寺の持」と記しており、創建の経緯をうかがうことができる。一方『郡村誌』では、社名は地類神社、祭神は稲田姫命となっていることから、当社は、豊かな実りをもたらす地霊を祀った社として信仰されていたものと推測される。
現在、当社の本殿の中には、『風土記稿』に伝えられる石はなく、代わりに十七基の金幣が祀られている。地類神社から氷川神社へ改称した際の理由は定かではないが、明治四十年に字泉水の無格社氷川神社など域内の神社八社を合祀したことを契機に、村社にふさわしい社名をということで武蔵一宮に倣ったものであろう。十七基の金幣の各々には社名と元鎮座地の字名が記されているが、その中に地類神社と称したものはなく、代わりに氷川神社と記したものが他より大きいのは、そうした事情を物語るものと推測される
地元の神社には、その土地ならではの歴史がある
今日は、朝霞に多く見られる氷川神社の中から、まずは溝沼氷川神社を紹介しました。
多すぎる氷川神社より元の「じるいね様」の方が数段良いように思いました。「村社にふさわしい社名を」というのは残念な考え方でしたね。がっかりです。風土記に書かれていた石はどこに行ってしまったのでしょうか?さすがに社名変更時に捨てたとは思えませんが。
みなさんも普段は気にしない地元の神社を訪れてみてください。意外な歴史が見つかるかもしれませんよ。
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